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体験談
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元がん患者として、人のお役に立てるような仕事はないかと考えています。瀬戸口 拓世さん(鹿児島県/56歳)

テレビなどで、ときどき「あの人は今」的な番組があります。しばらく見ないうちに、変わった「あの人」に、私たちは驚きの声をあげるわけですが、しかし、変わらないことに驚く場合もあります。今回体験談を語っていただいた瀬戸口拓世さんは2回目の登場です。スキルス性の胃がんを発症し、1回目の登場は胃の全摘手術から5年目。さらに5年が過ぎての再登場です。 お会いして、外見も口調も変わりがないことにまず驚かされましたが、お話をうかがうと、その心境には大きな変化が見られました。

過去家族のために、自分のために生きる

お変わりがなくて、驚きました。瀬戸口さんは胃に悪性度の極めて高いスキルス性がんが見つかり、胃の全摘手術を受けられました。それから10年が経ったわけですが、手術時のつらい日々のことを振り返っていただけないでしょうか。

手術を受けたとき、ちょうど大相撲の九州場所が始まっていました。相撲好きで、小学生の頃から地方巡業にもついていこうとするほどの私が、そのときはテレビ中継を見ようとも思いませんでした。それは「もういいんだよ」と。本来の自分を見失っていたような状態でした。病名はスキルス性の胃がん。急逝したアナウンサーの逸見さんと同じ病気です。

私はそれまで病気らしい病気をしたことがありませんでした。ですから、がんと聞けば、とにかく医師の指示に従い、早く手術をしなければという、焦りの思いが募りました。
手術は胃の全部とリンパ節1群、および2群を取り除いてひとまず退院。職場にも復帰することができたのです。

ベッドの上ではどのようなことを思いましたか?

俺はいったい何をやっているんだろうと。毎日まわりの人は仕事に行っているのに、私はベッドに寝たまま手術を待っている。見舞いに来てくださる方は「気を落とすなよ、がんばれよ」と励ましてくださるのですが、じつはそういう言葉、聞きたくなかったですね。心の中で「あんたは元気で、胃も丈夫でしょう、私はどうなってしまうかわからないですよ」と思っていました。もしも盲腸などの軽い病気であるなら、10日ほど入院し、休んだブランクは退院後に仕事をがんばればすぐに取り戻せる、そう考えるところですが、そんなことはまったく思わなかったですね。

この先、俺はどうなるかわからない、職場に復帰できるかどうかさえわからない、いや、人生がもう終わってしまうかもしれないなと思っていました。

それでも前向きに生きてきた?

そのとき46歳でしたが、ただ、元に戻りたい、生きていたいと思っていました。

振り返れば中学時代、近所の方ががんになり、自ら命を絶たれたのです。当時がんイコール死じゃないですか。けれど、私の場合、そういう考え方はしませんでした。「がんです。胃を全部取ります」と医師から告げられたとき、ショックはショックでしたが、それでも私は天涯孤独ではありませんでした。家族がいますし、子どもはまだ学生でした。

家族のために生きようという思いがあったかどうか、はっきりとは覚えていませんが、結果的に私が元気になることは、家族に笑顔が増えるということです。逆に具合が悪くなればそうではない。家族のために、自分自身のために、まだまだやりたいことがたくさんありました。

抗がん剤は試されましたか?

胃の切除手術を終えた後、医師は「経口用の抗がん剤であるTS-1をやってみましょう」とおっしゃいました。さらに「瀬戸口さんはお若いですし、いきなり点滴の抗がん剤を試してみて、結果が出なければ、もう打つ手はありませんからね」と、私の目の前ではっきり言うわけです。

ついに抗がん剤か、と。 その副作用が厳しいことは、まわりの患者さんやマスコミからの情報で知っていました。しかし副作用の厳しさより、不安だったのは、検査をするたびに腫瘍マーカーCEAの数値が上がっていったことです。術後10カ月で上限の5.0を超え、6.4に達しました。「これから私はどうなります?」と医師に聞いたら「点滴の抗がん剤にしましょう。また入院してもらいます」とのこと。

医師も悪気があって言っているわけではありません。患者を治したいとの思いがあり、マニュアル通りに進めているのでしょうが、それでダメだったという例が多いわけです。

私自身も再入院することに抵抗がありました。抗がん剤を飲み、不安定な状態でありながらも職場に通えていたのに、入院ともなればそれが途絶えてしまいます。そもそも私の知る限り、抗がん剤で完全に治癒した人はいないわけです。これはもう、医師の言う路線に乗ったら自分は終わりだなと感じました。

その日を境に抗がん剤は自己責任でやめました。手術後、10カ月も続けて飲んで良くならないのに、これ以上飲み続けても治らないだろうと。もちろん、点滴の抗がん剤をすることで命が助かるのであれば、医師の指示に従いますが、そのときの私は抗がん剤 では助からないとの認識しか持っていませんでした。 がんが縮小しても一時的なものであり、結局はダメだったという話をよく聞きます。ましてやその間、抗がん剤の副作用で苦しむわけです。わずかばかりの延命に何の意味があるのだろうと思いました。

どうせダメなら、清水の舞台から飛び降りるつもりで一か八かのことをしようと思い、インターネットで検索しました。がんに詳しい人が自分の周囲にいるわけではなく、調べる術はそれしかなかったのです。次々にホームページを見ていて、「フコイダン」という言葉を見つけたわけです。基礎研究のことが紹介されていて、医師がカウンセリングをしてくれるというようなことが書かれていました。電話で相談したところ、NPO法人『統合医療と健康を考える会』(以下、統健会)を紹介してもらいました。

術後1年目。まだ腫瘍マーカーが上がり続けていた状態でしたけれど、統健会の堂福先生や花牟禮先生などともお話しをし、フコイダン療法に切り換えました。

そして、次の検査のとき、腫瘍マーカーは下がっていました。以来、フコイダンに注力し、現在に至っているわけです。

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