温泉の街・指宿で、ご主人が経営するスポーツ用品販売店を支えながら、3人の息子さんを育てあげた尾辻久江さん。
休日は、気心の知れた仲間とミニバレーで汗を流すアクティブ派で、大きな病気一つしたことがなかったという尾辻さんが、卵巣がんを宣告されたのは53歳のとき。これから人生の円熟期を迎えようとしていた平成15年の春でした。
がんが腹部に広がり、手術もできず・・・
がんと診断されるまでの経緯を聞かせてください。

今から7年前の平成14年に、ちょっと帯下(おりもの)の量が多いな、と気になって、K病院の婦人科で検査を受けたんです。そのときには「異常なし」って言われて安心したんですが、半年たっても相変わらず多いので、やっぱりおかしいなぁと思って…。そのうち、だんだんお腹が張ってきたんですね。腹水がたまってきたんです。横になっても眠れないし、食事もとれない。胃腸の病気なのではと近くのクリニックへ行ったら、「これは、婦人科かも知れないですよ」と医師に言われ、「そんなはずは」と思いながらもすぐにまたK病院へ行ったんです。平成15年春のことでした。検査の結果は「卵巣がん」。腫瘍マーカーが11,310(正常値の323倍)もあって、主治医もびっくりした様子でした。
まさかのがん宣告。ショックだったのでは?
そのときはショックというよりも、「ようやく悪いところが見つかってよかった、早くとってもらって楽になりたい」という気持ちでした。何しろお腹がぱんぱんで苦しくって、ごはんがほとんど食べられず、半年ほどで10kgもやせてしまっていましたから。
「がん」と言われてもあまり悲観的にはならなかったんです。根が楽天家なもので、入院の準備をしながら「そういえば誰かが、健康食品でがんが治ったって話をしていたなぁ」と、そんなことを考えていました。そういうのを飲ませてもらえれば、自分は絶対助かるんだ、って思ったんです。なぜそんなに自信があったのかは、自分でもよくわかりませんが、やっぱり実際に治った人がいるという話を風のうわさで聞いていたからではないでしょうか。
ご家族は、どんな気持ちだったのでしょう?

家族は私のがん宣告に、たいへんショックを受けたようです。というのも、私自身は当時、詳しい病状を聞かされなかったのですが、家族には、がんがすでに内臓のあちらこちらへ転移しており、腹水も胸水もたまっている状態で、余命はあと2カ月ほどだろうと説明があったそうなんです。実際、手術を受けたものの、手がつけられないほどがんが広がっていて、何もせずにお腹を閉じました。 それですぐ抗がん剤治療に切り替わったんです。そのことも私は知らずに、がんをとってもらったと思いこんでいたのですが…。家族の方は、これはたいへんだ、何とかしなきゃいけないと、がんに効く健康食品の情報を集めに走ったみたいです。
ご家族の懸命なサポートがあったのですね。
子どもは男の子ばっかり3人で、もうみんな家を出て仕事していたんですが、手術後1週間くらいして、次男と三男が突然鹿児島に帰ってきたんですよ。「仕事を辞めてきた。お母さんのそばにいたいから」って。そのときは嬉しかったですねぇ。息子たちにしてみれば、あと2カ月の命と言われていてもたってもいられなかったのでしょうね。
それで長男は仕事が休みの土日に、次男と三男は平日に交替で、いつも息子の誰かがそばにいてくれました。
息子たちがフコイダンを持ってきたのもその頃です。「お母さん、これ、がんにいいから飲んで」って。本やインターネットで調べて、フコイダンをがんに使っている医師を訪ねて手に入れたそうなんです。
正直なところ、もともと海藻類はあまり好きじゃなかったので味はちょっと…。でも息子たちが必死で言ってくるし、私も「これで良くなるんだから…」と信じて、がんばって飲みましたよ。(笑)1回に100ccを1日4回。飲むときはね、「お母さん、これからちょっと気合い入れるから待ってね」という感じで、一気に飲みました。まぁ少しずつ慣れていきましたけど。(笑)
フコイダンを飲んでから、いかがでしたか?

そのおかげだったのでしょうか、抗がん剤を受けていたにも関わらず、ほとんど副作用に悩まされることがなかったの。多少吐き気はありましたが、よくいわれるほどひどいものではないし、腹水、胸水もおさまってきてむしろ食欲が出てきたくらい。だるさやしびれなんかもありませんでした。息子たちも「フコイダンを飲んでいたからだよ」って…。
でももっと驚いたのが、お腹全体に広がっていて手がつけられなかったほどのがんが、たった3カ月で小さくなったことです。もともと(原発巣の腫瘍)は8cmもあったのに、CTを撮ってもあるかないかわからないくらいに。腫瘍マーカーも、11,310あったのがたったの10.8まで下がりました。主治医も、「何がどう効いたのかわからない」というくらい、びっくりしていたそうですよ。
主治医はこのまま様子をみてもいいとおっしゃったんですが、あとあとの心配がないと思って、子宮と卵巣の両方、手術でとってもらいました。その後、抗がん剤を4回受けて、あとは月1回の経過観察。もうずっと腫瘍マーカーは正常の範囲内でしたし、ああよかった、このままずっといけたらいいなぁって。フコイダンもだんだん減らしていって、経過観察中はもう飲むのをやめていました。
再発後、ふたたびフコイダンで
再発、転移がわかったときの状況は?

平成18年の3月の検査で、腫瘍マーカーが上昇していたんですね。それで4月にCTとPETを受けたら、右の腸骨のリンパ節にがんがあることがわかったんです。
転移と聞いたときにはまぁ…ショックでしたけど、まぁね、しかたないか、という気持ちでした。
家族には検査のたびに、結果を電話していたんです。ですからマーカーが上がっていたことも知っていたし、心配していたとは思います。でも私には言わないんですね。あとで聞いた話ですが、息子たちは「母も自分たちも一生懸命がんばってきたのにどうして再発するんだ、ってすごくショックを受けた」と言っていたそうです。「でも自分たちがしっかりしていないと、本人はなおつらいだろう。兄弟で力を合わせて今まで以上にサポートしていこう、と話し合っていた」とも。あぁそうだったんだ…って、じんときました。
抗がん剤治療を辞退したそうですが。
はい。主治医から、「これからは延命治療となり、一生、抗がん剤を打たないとだめですよ」と言われたんです。正直いって、転移を告げられたことよりもショックでした。
私は最初の手術後と、2回目の手術後にそれぞれ抗がん剤を受けていて、確かに副作用は人と比べると少なかったですが、やっぱり気分のいいものではないし、いずれ体がぼろぼろになると人から聞いたこともあるし…。いくら楽天家な私でも、抗がん剤だけは「もう打ちたくない」って思ったんです。それは家族も同じで、「もう打たせたくない」って。
それで主治医に、抗がん剤治療はしませんってお断りしたんです。
それは、みなさん驚いたでしょう?
そうですね。主治医は驚いていたみたいですが、ご家族でそうお決めになったのなら、と了解してくれました。ただ月1回経過観察にはきてくださいねって。それより病院の中で顔みしりになった患者さん仲間の方がすごく驚いていたみたい。最近になって「あのとき、すごい決断をしたよねってみんなで言っていたの。大丈夫かなって心配したのよ。でも元気だねー」って。
手術で転移した部分はとってもらったのですが、その時点で家族は主治医から「抗がん剤治療を受けないなら、もってあと2年」と聞いていた、と後になって知りました。
それでフコイダンに賭けてみようと?
また息子たちがいろいろ調べて、鹿児島市でもフコイダン療法をやっている医師がいるというので、統健会を訪ねたのが平成18年6月。そこで堂福先生とお会いしました。
何といっても元癌研(財団法人癌研究会癌研究所)のお医者さんですし、フコイダンのことだけではなく、毎日の食事まで細かいアドバイスをくださり、がんと闘う体の環境づくりにとって何が大切かをていねいにご指導くださったのでとても信頼できました。

先生から言われて、好きだったコーヒーもきっぱりやめ、肉も控えて野菜中心の食事にしました。そして低分子フコイダン400cc/日を中心とした「フコイダン等綜合サプリメント療法」を続けたのです。そしたら2週間くらいで、腫瘍マーカーがすっと下がったんですね。それ以降今まで、正常範囲内を出たことは一度もありません。
とはいえ、月1回の検査は毎回毎回が勝負、という感じで、毎回毎回結果がでるまで戦々恐々としていました。いつ腫瘍マーカーが上がるか、いつまた再発するか、と。前回よりもちょっとでも数値が上がると、たとえ正常範囲内であっても不安になったり…。でも2年くらい経ったころからようやく「このままいけば大丈夫」と思えるようになってきましたね。堂福先生もまったく心配ないって言ってくださっています。
再発してからの不安な日々を乗り越え、今こうして元気でいられるのも、統健会のみなさん、そして堂福先生との出会いがあったからこそ。心から感謝しています。
今のお気持ちはいかがでしょうか?

再発してからもう3年以上経ちます。「もって2年」と言われていましたが今も健康な人と何ら変わりなく日々生活できています。趣味のミニバレーも、入院していたときを除いて、週1回のペースでずっと続けていて、もう20年になります。
がんになってから、本当にたくさんの人に支えられてここまできたなぁ…と感謝の気持ちでいっぱいです。主人も私もずっと指宿で育ったもので、長いつきあいの友達が多いものだから、最初の入院のときには280人もお見舞いに来てくださったんですよ。病院には迷惑になるから、自宅の方に来ていただいたのですが…。後から聞いたら、「尾辻さんはがんでもうだめだ」って話が広がって、会話ができるうちに顔を見ておきたい、とお見舞いが相次いだそうなんですが。それが今では「あの尾辻さんが元気になった」って話になって、みんな「どうして良くなったの?」「何を飲んだの?」って聞きにこられます。
ずっと支えてこられたご家族も喜んでいるでしょう?
はい。もちろんです。そしてもちろん家族にも、初めてがんと宣告されてから6年間、ずっと支えてもらったことを感謝しています。うちは16年前、主人が脱サラして身一つでスポーツ店を開き、二人で右も左もわからないまま本当に手探りでやってきたんですね。ちょうど3人の息子が大学に入る時期と重なって、学費や生活費を工面するのに苦労しました。そういう親の姿を、何も言わなくても息子たちは見ていてくれていたのかも知れませんね。私ががんになってから、ずっと助けてくれましたから……。だからそんな苦労はもう苦労とは思わないですね。
主人は昔から趣味で家庭菜園をやっているんですけど、堂福先生に野菜中心の食事をとアドバイスいただいてから、いっそう熱が入ってね。今では家で食べる野菜はすべて自家製です。きゅうり、トマト、とうもろこし、ピーマン、キャベツ、白菜…もちろん、全部無農薬で。 店では、私は経理をずっとやってきましたから、入院中は私がいなくてたいへんだったのではと思います。でも主人は後になっていうんですよ。「お金のことはいい、なくてもいい、元気でいてくれたらそれが財産だ」って。息子たちからは「お母さんが明るかったから救われた」って言われました。
尾辻さんとお話していると、さぞたいへんだったであろう場面でも
あまり落ち込んだ様子がうかがえないのですが、気丈でいられるポイントは?

くよくよしないのは性格なんだと思います。でもくよくよしたところで何にもならないですからね。何事も前向きに考えること。そして自分が信じられる治療法に出合ったら、きちんとトコトンやること。それが一番なんじゃないかと思います。
元 (財)癌研究会癌研究所・当会特別顧問
堂福 隆一先生のコメント

尾辻さんは「模範生」。食事をはじめとする生活習慣を私の指示通りに改め、低分子フコイダンを毎日飲み続けたそうです。その姿勢が体内を「がんと闘う環境」へと整え、克服へとつながったのではないでしょうか。
平成18年の再発時に、当会でフコイダン等綜合サプリメント療法等の代替療法を始めてもらいました。その結果2〜3カ月で腫瘍マーカーに改善が見られ、再発から3年経った現在も検査結果に異常もなく、QOLもたいへん良く元気に過ごされていらっしゃいます。












