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体験談
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過去と他人は変えられない、でも、心の持ちようで、未来と自分は変えられる。中西 美津子さん(広島県/45歳)

この時期、ご主人にとっても苦しい時期だったのでは?

ご主人 妻ががん宣告を受けたショックより、今後のことを考え、私なりにがんについて調べました。今の妻の様子からは考えられませんが、抗がん剤の副作用で、ぐったりしたまま動けない日が何日も続きました。そんな中、インターネットでNPO法人「統合医療と健康を考える会」(統健会)を知り、さっそく資料を取り寄せました。

統合医療ということについて奥様は?

私は自分以外、何も信じていないんです。先生やナースが末期がんを治してくれるわけではありません。治すのは自身のエネルギーだと思っていました。夫がいろいろな資料を集めてくれましたが、来るものは拒まず、すべては受容せずで、一つ一つ吟味し、これはパス、これはいいかもしれないと。そのへんは直感が働くんです(笑)。フコイダンはサンプルを取り寄せ、飲めるかどうかを確認しました。そして2009年5月、統健会からの紹介で、岡山市にある川口内科医院の川口先生に電話で相談をしました。とても親身にお話を聞いていただき、「フコイダンを飲まれるなら発症して2カ月が勝負です。お金はかかりますが1日400mlは飲んでください」と。そして最後に「一日でも長く生きてほしい」と言われました。私に関わってきたどのドクターやナースからも言われなかったその言葉を聞いたとき、初めて涙がこぼれました。

実際、フコイダンを飲まれてみてどうだったのでしょう?

5月からフコイダンを飲みました。最初、夜に飲んで、あれほど痛かった胸の締め付けが朝起きたときになくなっていたんです。まだ1回しか飲んでいないのに、それが不思議で。何の作用かはわかりませんけれど、翌朝、すーっと起きられて。そのことを川口先生に電話でご報告しました。

ご主人私自身、妻の状態がそんなに変わるとは思っていなかったのですが、すぐに変化が現れたので正直驚きました。

以後は抗がん剤とフコイダンを併用されて?

そうです。今もジェムザールとナベルビンの抗がん剤を打ってもらっています。末期ですから主治医はファーストラインからセカンドラインへとすぐに移行すると思われていたようです。ですから、「続いているね」と(笑)。 ただ、私にすれば体調は良くなっても、父の死の悲しみをまだ乗り越えてはいませんでした。秋になり、たまたま1枚のCDを聴きました。その曲は『フェリスタス』といいます。吹奏楽部で一生懸命に取り組んでいた曲でした。それを聴いているうちに癒されて、青春時代のエネルギーがふつふつと甦ってきました。発症前、ママさんたちとブラスバンドを結成していたのですが、ああ、もう一度サックスを吹こう、“ママブラス”に戻ろうと。そんな前向きな気持ちになりました。

100人のがんの方がいれば、100通りのがんがあると思うのです。余命宣告を受けても私は私自身のがんと立ち向かう。そして、天寿がんどころか120歳まで生きようと思いました。そういう活力を与えてくれたのが、青春時代に情熱を燃やした曲『フェリスタス』だったんです。
そんな心境の変化もプラスになったのか、2009年9月のPET検査の結果は半年前と随分変わっていました。がんを示す光が小さくなり、散らばりも少なくなっていたんです。

ご主人首のリンパ腫も放射線で治療できるのではないかと先生にお尋ねしたら、もう放射線をあてるほどの大きさではなくなったとおっしゃられました。

(※掲載している体験談は、患者様個人の感想であり、個人差があります。)

生きる
中西 美津子さんが書かれた2010年1月の手記より

今、抗がん剤の点滴が終わった。これで何回目だろうか。肺がんステージ4。最悪余命一年と言われた春まで、あと3ヶ月。

人は何の確証もないのに、漫然と70年か80年ぐらい生きるのかな、と、思ってしまう。

15年前、がんで夫を亡くし、当たり前の毎日がどれほど尊いか痛感している私でさえ、その一人だった。

「がん」という言葉は、本当に人を落胆させ、周りの人をむやみに悲しませる。私は自分の病気を「キャンサー」だと思うようにしている。自分もきっとできると、前向きに生きていける気がするから。

昨春、私の入院中に父が肺炎で急逝した。私さえ元気でいれば、きっと亡くなることはなかった。せめて手を握り、さよならをしたかった。初めて後悔を知った。

父の葬儀後、これからは決して後ろを振り返って泣くまいと心に誓った。が、どうしても涙が止まらない時もある。

一人で車を運転し、石井杏奈さんの「がんばるけん」のCDを聴きながら、生まれ育った広島の街並を想い涙が溢れる。

小1の息子の寝顔を見て、いつまで成長を見守ることができるだろうかと声を殺して泣き続ける。

キャンサーと診断され、なぜ私がなったのかを自分なりに究明し、納得し、そして、いろいろなことを悟る。

泣いて過ごすのも、笑って過ごすのも同じ一日なら笑顔で過ごしたい。私の気持ちを尊重して支えてくれている多くの人達に感謝し、最期の瞬間まで、真のポジティブとは何かを見つめていきたい。人生に意味のないことはない。

今日、生きていて、明日目覚めたら隣りに息子のほほえみがあれば、それだけでいい。生かされている限り、生きていこう。

中西 美津子

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