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抗がん剤は使わない!貫き通した強い思い!小林 陽子さん(68歳・女性・卵巣がん)2025年取材
二度のがんとの闘いの中で陽子さんが貫いた方針
その頃、日々、どんなことを考えどのように過ごされたのですか?

陽子さん がんの治療において、私には二つの考えがありました。一つは「悪いものは思いきって取ってしまう」ということ。だから手術をすることにためらいはありませんでした。そして、もう一つは抗がん剤は使わないということです。抗がん剤を使うことによる医学的効果はもちろん知っていましたが、私が重視したのは、副作用として具合が悪くなったり、髪の毛が抜けるなどさまざまな肉体的・精神的ダメージがあるということでした。とにかく元気でいることが大切だし、気持ちが落ち込んでいては治るものも治らないと思ったんです。ですから、「とにかく抗がん剤だけは使わずに治そう!」と決心して、それだけは最後まで貫き通しました。実際のところ、お医者さんからは抗がん剤治療をかなり強く勧められていましたが、そこだけは頑固に譲りませんでした。そして、翌年の1月に卵巣と子宮の全摘手術を受け、リンパ節も切除しましたが、術後の抗がん剤治療はもちろん断って…でも、入院中もフコイダンだけは隠れてこっそり飲んでいたんですよ(笑)今も、その時の判断に間違いはなかったと思っていますし、結果として私の命をつないでくれた大きな要因だったと感謝しています。
小林先生 確かに、私の中でも、妻に抗がん剤を使わせないという決断に至るるまでには色々な葛藤がありました。担当医には「抗がん剤を使わないなんて、奥さんを愛していないんですか?」とまで言われましたが、最終的には、とにかくフコイダンを毎日飲んで元気でいる彼女の姿を見ていて、その決断を尊重するのが正しい判断だという考えに至ったんです。
そして、この決断をするのにもう一つ大きかったのが、当時福岡でクリニックを開業され、この低分子化フコイダンを推奨されていた細井先生の存在でした。夫婦で何度も福岡へ行って先生のお話を聞く機会を得たことで、フコイダンへの信頼感が増しましたし、先生が妻を心配して毎日のようにファックスでアドバイスを送ってくださったことも、どれだけ夫婦の励みになったことか‥。細井先生には本当に感謝しています。

陽子さん 術後しばらくは量を減らしてフコイダンを飲んでいましたけど、定期検査でも再発は見られず、一旦は完治したと思っていたんです。まさか10年後に、今度は乳がんになるなんて思いもしませんでした。最初の時以上にショックが大きくて… その頃はもうフコイダンは止めていましたし、でも前回の経験もあったので、すぐにフコイダンを飲み始めたんです。そして前回同様「悪いものは取ってしまおう!」という考えで、すぐに全摘手術も受けました。一方で、やはりこの時も主治医からは抗がん剤治療を強く勧められましたが、髪の毛が抜けるのはイヤだと言って断固拒否したんです(笑)。

小林先生 妻に乳がんが見つかった時には愕然としましたね。最初の発病が自分の責任のようにも感じていたので、まさか二度もこんな辛い思いをするなんて…と正直やりきれない気持ちにもなりました。先ほどもお話しましたが、私は多くのがん患者を見てきました。抗がん剤治療の功罪も目の前で見て知っています。医者として西洋医学を否定することはありませんし、正直初めはサプリメントの効果などあまり信じていなかったというのが本音です。フコイダンに頼ることも、助かる可能性があるものなら何でも試してみよう!という切羽詰まった思いから賛成したことでした。しかし、今回の経験は結果として私自身にも多くの学びをもたらせてくれました。二度のがんから妻を救ってくれたことの要因としてこのフコイダンがあった可能性は高いと思っていますが、皆がみんな絶対そうなるとは言えませんので、あくまでも可能性です。実は、昨年の夏、診療所の職員の母親がすい臓がんになったと聞いて、私からフコイダンの話をしたんです。今後もフコイダンについては、患者さんそれぞれの状況に合わせて適切な形でお勧めできればと考えています。
陽子さんは今回の経験でどんなことを感じていますか?
陽子さん 私は、決して気が強い方ではないと思っていますが、抗がん剤を使わずにフコイダンで治す方法が良いと感じた、その自分の直感を信じて、そこを譲らなくて本当に良かった。でも、もしこれでダメだったら抗がん剤治療を受けなくてはいけないかも…という不安と覚悟もどこか頭の片隅にはありましたよ(苦笑)
だから、二度のがん発症は不幸なことかもしれませんが、一方で、「実は、私ってとてもラッキーだったんじゃないか」とも思うんです。最初にがんになった時に幼い子どもの存在があり、「絶対に死ねない」と思ったことで気持ちが強くなれたことや、夫が私の方針に理解を示して応援してくれたこともそうです。そして、何よりフコイダンと出合えて良い結果が得られたことが本当に大きかった。それらすべてがラッキーだったと、今は心からそう思っています。
